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 広瀬敏通アーカイブ(4)「ホールアースの災害救援活動とポリシー」
 
広瀬敏通
 2011年07月10日 08:57 JST (参照数 4735回)  
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登録日: 2009年06月30日
投稿数: 20
ホールアースの災害救援活動とポリシー 記・2006年12月16日


自然学校と災害救援の関係にピンと来ない人も多いだろう。
ホールアース自然学校が誕生した1982年は、国際的な災害救援や戦乱避難民の救出を目的とした「国際緊急援助隊」(現、外務省所管)が創設された年だった。前年まで、カンボジアの戦乱下にある避難民や子どもを救援するNGO活動を展開していた広瀬 敏通(現・ホールアース自然学校代表)が、帰国後、カンボジア時代の仲間の呼びかけに応えて創設に関わった機関である。富士山麓で自然学校を始めた広瀬 敏通にとって、地球上のいかなる地でも弱者が放置されている状況に眼を向けない生き方は考えられなかった。

そして1995年、阪神淡路大震災の現場で押し寄せるボランティアを指揮しつつ、被災者の救出と避難所の運営に当たっていた広瀬 敏通は、自然学校で身につけたコミュニケーション能力や対人理解能力、野外技術などが、混乱の極みにある災害発生の現場で驚くほどに役立つという実感を得た。こののち、ホールアース自然学校では危機管理室をもち、災害教育にも積極的に関わる体制がとられていった。


これまでの主な活動

◆阪神淡路大震災⇒東灘小学校救援本部立ち上げ運営
カンボジアがわが国における国際NGOの揺籃の地であったように、1995年1月17日からの阪神地域は本格的な市民による国内ボランティアの誕生の地だった。

地震勃発の当日に東京を中心とした野外教育の仲間に連絡を取った広瀬 敏通は、体制を急遽整えて、即座に現地に飛び、翌日には被災地であった宝塚の友人の同行で、芦屋、西宮と被災地を調査しながら進み、もっとも激甚な被害を蒙った東灘地区に入った。ここは倒壊していない建物が珍しいほどで路地はすべて倒壊家屋でふさがれていた。

激甚被災地の中心部に位置する東灘小学校には被災者が続々集まってきていた。ホールアース自然学校はここにボランティア本部を設置することに決め、JON(日本アウトドアネットワーク)の仲間の活動場所にした。ここで3月31日に撤収を行うまでの2ヵ月半、野外教育、自然学校の災害救援活動が行われ、延べ300人のボランティアが自炊しつつ常駐した。多くの若者がこの場を教場として多くを学んでいった。
※(この項に添付して、広瀬 敏通著作・レポート集より、阪神部分を抜粋して掲載する)

◆中越大地震⇒川口町ボランティアセンター立ち上げ運営
2004年10月、新潟県中越地方を突如襲った大地震は、長岡、十日町、小千谷など広域に被害をもたらした。これらの地にはすぐさま、多くのボランティア団体が駆けつけたが、報道が入れない空白域があった。
それがのちに唯一、震度7を記録した川口町である。

10月29日、広瀬敏通を隊長とするホールアース自然学校救援チームは、道路が決壊して入れないこの土地に入ることを強行し、ボランティアもマスコミも誰もいない被災者だけの町に入った。役場前に孤立した状態で設置されていた災害本部で打ち合わせをし、町の社会福祉協議会と共同でボランティアセンターを設置することにし、おなじく、この地にこの日なんとかたどり着いた10数名のボランティアたちと夜のうちにセンターを開設した。

資器材はすべてホールアース自然学校から持ち込んだ大型テント、テーブル、椅子、文具、救出用具、活動用具、野営道具、調理用具、寝具、食材などで賄った。広瀬が初代のボラセンの責任者になり、翌日から徐々に押し寄せ始めたボランティアを指揮しつつ、まだ各所で寸断され、孤立していた集落を抱える町の全域にわたり、バイク隊と協力しつつ効果的な救援活動を担った。

阪神の教訓を踏まえ、『情報の共有と周知』がもっとも大事だと考えた広瀬は、10月30日には手作りのボラセン新聞を発行し、31日にはボラセンのホームページを開設した。
これは何と1日のアクセス件数が5000件を越えた。新聞はボランティアに慣れない山里の被災者とのコミュニケーションにとても役立った。

また、他の町でのボラセンが11月半ばには押し寄せるボランティアでパンクして、のきなみ受け入れを中止したのに対し、川口町は最後まで、日/1000人に近いボランティアを受け入れ続けた。これは、はるばる覚悟して駆けつけてくれたボランティアの個々人がこの体験を下に災害大国日本にいきる個人として、生き方を変えうる機会だと捉えた広瀬の考えによるものだった。

ボランティアが実際の活動には多すぎて参加できなくとも、欠かさずに続けた日4回の全員ミーティングは、少数の担当者だけの会議にせず、一日限りのボランティアでもみんな参加でき、および、活動時間帯である昼にボラセン前の広場を埋めていた人々に対して、「川口町の現状とボラセンの活動」に関するタイムリーな情報を伝えてきた。

これによって、直接現場で活動する機会をもてなかった人々も川口町の貴重な情報を生でうることが出来、自分の地元に帰ってからも川口町の状況を伝えることも出来、ボランティアとしての自覚と意識を持ち続けられると評価されてきた。

川口町ボラセンは寝たきりのお年寄りをケアする「まごころ隊」、被災した子どもたちをケアする『のびのび隊』など、各種のチームを結成して幅広い活動を担い、2ヶ月余に及ぶ活動を行った。


耐震拠点としてのホールアース自然学校富士山本校

1995年、阪神淡路大震災の救援活動に終止符を打って富士山にもどった私たちは、いずれ東海地震や富士山噴火災害が想定されているエリアで活動する自然学校として、自らが被災者になるのではなく、救援者として働くべきという強い信念を持っていた。

阪神地区で壊滅した町を見続けた眼から富士山本校の施設をあらためて見てみると、想定される震度に耐えられないと判断せざるを得ず、全施設を強度の耐震建築で建設することに決め、ついに、1998年、新しいホールアース自然学校が全施設耐震建築群として完成した。

すべての建物は校倉工法のログハウスにするか、接続部分を金属で補強するSE工法で建築、基礎部分の厚さや鉄筋は倍にした。研修棟では雨水を地下大水槽にため、130mの岩盤を打ち抜いて富士山の地下水を安定的に供給した。また、周辺住民の救出のための資器材や避難道具、ボランティア用のテントや調理用具なども大量に揃えた。


ホールアースの災害教育

さまざまな災害救援の現場を体験してきたホールアース自然学校では、災害現場が極めて優れた教育力を持つことに注目してきた。

世界の0.25%の国土面積である日本列島が世界中で発生しているM6以上の大地震の20%を占める災害大国であるにもかかわらず、多くの日本人は災害現場からほんの少し離れただけで、悲惨な被災地とは無縁に立ち居振る舞い、想像力は圧倒的に欠如している。災害現場を身近に肌身で理解できるか否かが、いざという災害時での対処に大きく関係してくると私たちは考える。

それには毎年のように発生している災害現場を教場にした学びがとても効果的な『災害教育』になるとおもわれる。悲惨な災害現場を見学したり話を聞いたりすることには、倫理的な疑問も起こるだろうが、それでもなお私たちは幾多の経験から、災害教育こそは現場でなければならず、現場だからこそできると考える。

安全面での配慮さえつけば、小中学生をバスで現地に入れて、ボラセンなどを見学させ、ボランティアが災害の状況と災害地支援を話して聞かせる。行政担当者には災害時の効果的な官民協働による救援体制を、企業にはその組織力を生かした救援のケーススタディを提供できるだろう。

これまで、わが国で行われてきたのはおもに災害防備の防災教育であり、災害発生時のダイナミックでカオスのような状況下での展開は体系的には取り組まれてこなかった。しかし、上記のような災害教育が実施されればその効果はきわめて高いはずだ。
阪神でも中越でも私たちは視察に来たすべての国会議員たちに災害教育の重要性とその実施について協力を訴えてきたが、残念ながらその進展は見られない。

しかし一方、全国に2000校も生まれた自然学校では、ホールアース自然学校が取り組んできた『災害教育』に対して強い関心を寄せるところが増えてきた。いまや全国津々浦々に広がった自然学校が災害教育のしっかりしたネットワークを組み、ノウハウを交換して力を集めれば、災害大国日本の状況に大きな光を当てることになるだろう。

自然学校こそがその専門を生かした緊急時での高いコミュニケーション力で被災住民や地元行政とボランティアをつなぐ役割を果たすことが期待できる。各地の自然学校の活動メニューにぜひ、災害教育への取り組みを入れてもらいたいと切に思う。

(ホールアース自然学校HPに掲載)

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