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 広瀬敏通アーカイブ(3)「ボランティアコーディネート」
 
広瀬敏通
 2011年07月10日 08:50 JST (参照数 7159回)  
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状態: オフライン


登録日: 2009年06月30日
投稿数: 20
ボランティアコーディネート 記・2005年1月10日 


ホールアース自然学校の歩み

ホールアース自然学校は、1970年代初頭からアジアで障害児の村つくりやカンボジア難民救援の活動を経て戻ってきた私が、日本で自立した生き方暮らし方を始めた実践から生まれました。戦争や自然災害で最も被害をこうむるのは社会的な弱者です。子どもや障害者、老人、貧しい民が逃げ場もなく打ち据えられていく現実に、自ら立つ、生き方を選ぶことで、弱者を生み出さない社会つくりをする実践が自然学校活動でした。

1982年、自然学校の設立と同時に、カンボジア難民の医療協力に尽くした旧メンバーを中心に、「JMTDR(国際緊急援助隊)」の設立が呼びかけられ、私もコーディネーターとして設立時に関わりました。この組織は現在、外務省の国際緊急援助機関として活躍しています。

1995年の阪神淡路大震災では、震災直後にもっとも激甚な被災地のひとつとなった東灘区の東灘小学校に入り、そこを拠点に野外教育者の救援本部を作って、2ヵ月半におよぶ本部運営に携わりました。

ここで実践してきた混乱下の避難所の組織化と運営、広域ネットワークつくり、被災した子どもやお年寄りなど弱者へのケアを通して、自然学校のノウハウが、災害時などの緊急時に確実に役立てると確信し、以後、積極的に災害対応型の自然学校つくりを進めてきました。野外技術だけでなく、臨機応変な現場対応と対人調整に優れた能力を持つ自然学校は、まさに災害時にこそ本領を発揮します。

2004年には震度7を記録した新潟県川口町でボランティアセンターの設置から運営までの基幹的な役割を果たし、2ヶ月余にわたり、駐在ボランティアを派遣しつづける体制をとりました。


中越、川口町ボラセンの立ち上げ

陸の孤島となっていた川口町に、地震6日目に壊れた道を突破してたどり着いたホールアース自然学校チームは、ワゴン車にボラセン設置に必要な資器材や食料を満載して、役場の災害対策本部との協議に入り、直ちにボランティアセンターを設置しました。はじめに、これから押し寄せるであろうボランティアや救援物資を迎える体制つくりと同時に、被災状況の確認や情報発信の仕組みつくりに取り掛かりました。

この町はライフラインが遮断されて、一片の情報もないまま住民が孤立しています。そこで、ボラセン2日目には日刊「ぬくもりニュース」を発行してボランティアの手で町内各所に点在していた被災者の方に手渡しで最新の情報を届け、その翌日には川口町ボラセンのHPが立ち上がりました。これによって川口町は全国とオンラインでつながり、半日で5千件のヒットを記録しています。

ボランティアは続々集まり、1日に多いときには800人。
小さな集落が集まって出来た5700人の町では『最大の村』が突如でき、それがボラセンです。この新しい村の地区長も住民もしょっちゅう顔が代わります。
しかも特定の目的を持った村です。

もともとの川口町住民にとってこれはある意味、脅威でもあります。この新しい村はどんな役割を果たすのか、自分にどう関わりがあるのかがよく理解できている住民はいなかったでしょう。いつまで居るのか、何ができるのか、町の中長期的な復興計画のなかにボランティアは位置づけられていくのか、このあたりを見極めて舵取りをすることが欠かせなくなってきます。どうじに、ボランティア村を運営するために、衣食住を面倒見る福利厚生部門、健康被害を予防する衛生管理部門などが、これまでの被災住民へのケア業務に加えて重要になってきました。『ボランティアのためのボランティア』です。

初期段階においては個人における自己完結型のボランティアを軸にした活動が不可欠なので、救援物資や義援金など、被災者向けの支援に手を付けるわけにはいきません。でも活動が長期化してくる段階で、長期的に腰を据えて支援に入るボランティアも多くなり、ボランティアが自身の活動のために使える物資、資金が必要になります。

自己完結の仕組みを個人のレベルから集団全体のレベルにおいても実現し、撤退時にはクリーンな状況を確保するためにゴミのゼロエミッションまでも目指す村を私たちは目指しました。目的を共有し、目的達成のために大人数がひとつの有機体のように動き、かつ、自己完結であるアクション。たとえ短命であっても実験する価値と理由がここにありました。


現場から学ぶ

阪神以降、各地で実施された「災害ボランティアコーディネーター」養成事業は現場学習より、マニュアル学習が優先し、その結果、肝心の現場では適切な動きをとれず、かえって流れを阻害するケースをたびたび目にしました。

言うまでもないことですが、大事なことは《現場から学ぶ》ということです。臨機応変、適材適所、柔軟さ、受容、ニーズの受信力、自己判断力。これらは現場で養われ、鍛えられます。しかし、災害教育の現場は被災地ですから、救援活動のさなかにこうした人材育成を行う目的意識がなければ、「現場で学ぶ」仕組みは成り立ちません。このことからも、「災害ボランティアコーディネーター」の育成には相当の強靭な意思と体制が必要だということがわかります。


情報を共有する

ボラセンのコアメンバーだけが情報を独占し、指示を出すだけでは多様な人の集まりであるボラセンは運営できません。私たち川口町ボラセンは早朝、活動出発前、活動終了時、就寝前の4回、その場に居合わせた全員が参加してミーティングを行ないました。

これによって、町のことや被災の様子、活動の最新の情報や方針が共有され、各リーダーが自立的な活動を担っていきました。集権と分権のバランス、信頼感の醸成はボラセン運営の要です。これを確保するには情報の全員共有が不可欠でした。


チームが自立する

 ボラセンにはさまざまなチームが生まれて、それぞれに機能します。総務、物資、活動、受付、食担などなど。さらにその中にも多くのチームが生まれて行きます。

子どもたちのケアを行う「子どものびのび隊」、お年寄りのケアを中心にした「ぬくもり隊」、寸断された道路網を縫って情報収集を行う「バイク隊」、ボラセンの機能アップを支える「職人集団」などが、どのような指揮系統を持って動くのか。日常時のような完成された組織体ではない被災地のカオスのような状況下で活動するボラセンでは、個々のチームがそれぞれ独自に判断して動ける状況を保障することが重要です。
いちいち稟議が必要な体制など、災害ボランティア組織には不要です。そのために、日々の全体ミーティングが極めて重要でした。ここでチューニングした各チームは、各々、自立して行動することができたのです。


ルールは作らない

 どのような集団にもある程度の社会性があって、そのためには集団内のルールが必要です。しかし、ルールは一方でルールを守る(守らせる)必要が生まれ、ルールを守るためのルールと言った、際限のない自家中毒的な状況も伴うことが知られています。

災害時のボラセンでは、各自が自己判断、自己責任で行動することが大前提なので、集団内のルールは最小限にします。もちろん、自己責任概念の薄い人もたくさんいますから、現代社会人が即、災害時に自己責任で行動できるわけではありません。そこで、ボランティアにやってきたときに最初に目にする災害ボラセンの姿を見て、学んでいくことが重要になってきます。

ボラセンが細かなルールによって運営されていれば、「会社や学校の延長だ」と感じて、自己責任や自己判断という思考法に向かわずに指示待ちの状態が生まれ、ボラセンの機能は各所で渋滞が発生していくでしょう。しかし、細かなルールがなく、各人の自主的な判断がその隙間を埋めていると気づいた者は、自らもそのように行動をとっていきます。その結果、しなやかでスムーズな活動が随所で展開されていくことになります。

「ルールは要らない」という意思をみんなで共有することが災害時の効果的な動きを作り出すのです。


被災者、行政、他団体と協力する

 被災地では段階によって、住民組織や自治体、被災者避難所の自治会、各ボランティア団体など、多彩で多様な機関、団体と向き合って活動して行きます。そこでは自団体の論理を振り回すことは迷惑なだけだし、時にはボランティア団体そのものを「厄介もの」扱いする住民や自治体機関も見られます。つまり、よそ者集団ですから世話が必要と思い込み、「こんな事態のときに負担になる」という思考になるのです。また、被災地が防犯上、きわめて無防備な状況になるために、「よそ者は入れない」という強い思いもあります。

そうした思いの錯綜する中で、効果的ですみやかな活動を作り上げていくために、災害ボランティア組織のコーディネーターは、辛抱強く、粘り強く、わかりやすい言葉で活動の目的と範囲を明確に伝えていくことが求められます。

これにはさらに、言葉と意思を伝えるにとどまらず、コーディネーター自身の人間性も相手に認めてもらえるようしていく必要があります。制度が崩壊した災害時には、本来の人間関係の基礎である互いの信頼感の醸成が大事になってきます。


社会福祉協議会とボランティア

ボラセンは中長期的には地元チームへの体制移行をスムーズに行っていき、撤退を見通した運営をしていかねばなりません。
社会福祉協議会は社会の福祉部門を担う民間の福祉法人であり、かつ福祉担当の行政機関の一翼を担っています。この法人が阪神大震災以降、災害時のボランティア受け入れやボラセン運営も担当するということになりました。

しかし、災害時のボランティアは、通常のボランティアとは異なり、「①緊急性が高い活動である。 ②活動によってはリスクを伴う。 ③目的が明確でそれに絞った活動である。」ことが特徴です。さらに時期や段階により役割の変化がありそれに応じた仕組みも必要となります。こうした特性や支援の全段階を社協に委ねることは組織特性上、無理があることは明白です。

PHP Formatted Code


《災害発生後のボランティア活動の流れ》
1期 救命レスキュー:救命救急期:自衛隊、消防、民間専門家(NPO・NGO)によるレスキュー
2期 被災者支援期 :避難所、ボランティアセンターの設立

混乱した中でボランティア組織をまとめていく人間関係コミュニケーションスキルが要る。
救命やボランティアセンター立ち上げ、避難所設置など専門機関、団体の関与が不可欠。
⇒1,2期は民間の災害救援専門団体が主力となり、社協は補佐役となる。


3期 生活復興期:仮設住宅への移設、災害地の片付け作業など
4期 生活再建期:日常生活の再建、地域コミュニティの復活

混乱した中でボランティア組織をまとめていく人間関係コミュニケーションスキルが要る。
救命やボランティアセンター立ち上げ、避難所設置など専門機関、団体の関与が不可欠。
⇒1,2期は民間の災害救援専門団体が主力となり、社協は補佐役となる。
 



ボランティアをコーディネートする

ボランティアには
①一般ボランティア・・災害時には一般市民がボランティアに多数参加
②ボランティアリーダー・・小集団のボランティアを現場で率いるリーダー
③ボランティアコーディネーター・・一定地域の組織的支援やVC本部のまとめ役
の役割がありますが、被災現場で最も活躍するのは②のボランティアリーダーでした。被災地では次々とやってくるボランティアを引率し、効果的に活動する現場の指揮者が圧倒的に不足しているのです。しかし、リーダー・コーディネーターとも訓練が必要で、見よう見真似ではロスが多く、そのための研修制度が必要だと痛感しました。


バトンタッチ

被災地での支援活動はどこかのタイミングで終了する必要があります。
その引継ぎをスムースに行うことも災害ボランティアコーディネーターの役割です。

とくに中山間地域での災害では、地元NPOも少ないために、社協が長期的な被災者のための支援体制をとる唯一の機関であったりします。そのために、社協に引き継ぐ業務をどれにするのか整理し、引き続きの支援をボランティアとして行う場合には何をするのか、線引きをしておくことが必要です。長期的な復興には外部の応援団組織の存在は欠かせず、これは地元社協には担えません。

被災地の未来をたびたび議論しておき、その未来に沿った支援を各ボランティアが地元に戻ってからでもできるスキームに作っておくことも大事でしょう。これは人間同士の絆でもあるからです。


民間だからできること

個人ボランティアであれば社協のボラセンに参加して貢献することもできます。しかし、組織的、専門的に活動する自然学校などの災害救援活動は、行政や社協ではないし、単にその補完団体でもありません。民間の専門的なノウハウを持つ集団が災害救援の活動を担うということは、それ自体の意味が必要です。
活動の結果と成果はその活動を行った組織・団体のアイデンティティとも重なるのです。

初期の緊急支援段階、被災者支援段階、生活復興段階、生活再生・地域再生段階のすべてに主体的に関わるのか、緊急支援のみ主体的な取組みを行い、その後は後方支援になるのか、取り組み方自体が変わってきます。そのためにも取組みの早い段階で災害の質を良く見極めて戦略を立てることが必要です。
 
(災害関係の機関誌に掲載)

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